妻が旅立ってから1ケ月が過ぎ、、時間の経過がとても早く感じる。
今回は自宅で妻の旅立ちを看取る事を決心した事について、自信の整理の意味も含めて投稿する。
まず、自宅で看取る事は医師からも勧められた事だった。
何度も患者の旅立ちに居合わせてきた中で病院での最後と比べて、自宅で最後を迎えた人の顔はとても穏やかな顔をしていたと仰った。
この言葉で、自宅で最後まで看取ってやろうと決心したコメントだった。
ただ、身体が動けなくなってきて、最後を迎えるまではとても大変だった事を思い出す。
急だった事もあって、寝たきりになる想像をしていなかったため、
介護用ベッドなどの急きょの準備から始まって、日々の生活の世話の大変さもあった。
近所に看護師経験者の義理姉がいるので手伝って頂いた・・もしこんな環境でなかったら自宅で看取りなんて無理だったかもしれない。訪問介護の手助けもあるが、これもどうか、時間は限られるし、本人からすればいい気持ちではないはず。。
それと、これは今も疑心的に思うのだが、娘からしたら、自宅で看取る事はどうだったのだろうかと・・・。
日々、母が衰弱していく姿を目の当たりにした生活を過ごした娘。
その時、どんな想いだったのだろうか?・・
父として娘の事を優先的に考えたとしたら間違った事だったのかもと思ったりする・・・。
娘と私の2人生活、、妻の入院で2人生活は度々あったので今に始まった事ではないが、
やはり違和感がある。。妻がいない・・母がいない・・家に祭壇、妻の遺骨と遺影。
知人の来宅、法要の準備、死去後の手続き、
まだまだ続きそうだ。。